台湾のコンピューター産業の脅威に触れる旅 (その2)

ご意見、ご質問はこちらへ

さあ、いよいよコンピューテックス台北の旅です。   今回はNuくんと台北旅行です。

彼は非常にたくましい人なので、一人で観光も可能だと思い一緒に行くことに決めました。

                                                                            台北観光   台湾ライブカメラ

第三部         第四部          その1     その3

今回は、台湾の台北国際空港(桃園國際機場)に到着後、前回の旅行で知り合いになった

Chao Chungkai (趙 崇楷)さんが空港まで迎えに来てくれました。 

Chaoさんはコンピュータが好きで私とも気が合い大変仲良くしていました。 

Nuくんが台湾観光をしたいと言うので、Chaoさんに無理を言って花蓮のタロコ渓谷

台中の日月潭、高雄の左営蓮池潭公園などへ連れて行ってもらう事にしました。 

その代わりと言っては何ですが、台北に帰ってきたら、Chaoさんをコンピューテックス台北

連れて行くと言うことになりました。  コンピューテックス台北は現地の一般の人が入るには、

少々高めの入場料が必要で、尚且つ最終日にしか入場出来ません。 

私と一緒に入ると無料で何度でも入れるパスが貰えますのでそれを彼に渡してあげると

大変喜んでくれました。  さて、コンピューテックス台北は会場が3箇所に分かれていて写真

メイン会場ですが見て頂くと解るように、小さなブースがものすごく沢山あって一つ一つを

見て歩くのは不可能です。  そんな会場での私の見かたは、ただブラブラと歩いていて

ふと目に止まったものを詳しく見る。   また、Intel とかAMD、ASAS等の有名なブースに入って見る。

と言うようなことでした。  場所は台北101のすぐ隣で、当時の台北101は工事が始まった

ばかりで仮囲いで囲んであり隙間から覘いて見ると、地下を掘っている最中でした。

その隣の「台北世界貿易中心」がコンピューテックス台北が毎年開かれる場所です。

期間は、毎年6月の第一火曜日から土曜日までの5日間開催されます。  (2003年は

SARS(重症急性呼吸器症候群)の影響で9月に開催されたようです)

 

そこでブラブラしていますと、突然目に入ったものがありました。  それは今でもあまり無いと

思いますが、キーボードにテンキー(数字専用キー)のついたノートブック型PCでした。

今からおよそ11年前です。  私はとても驚いて立ち止まってしまいました。

そこで後に大変親しくなるYeh Donovan(葉 慶揚)さんに出会いました。

私にとっては驚きでした。  ノートブックPCにテンキーが付いているのですから。

そのメーカーはKAPOKと言って今はCLEVOと合併して無くなったメーカーです。

KAPOKはOEMメーカーとしてPCを他社のブランドで売っていました。  当時Yehさんの説明を

聞いて、小ロットでも売りますと言うことでしたので、「何台からならOK?」と聞いてみますと

「1台からでもOK」と言う返事で、大変驚きました。  もちろん値段は高くなりますが、

私の会社のように小さな会社ですと、最大5台ぐらいの仕入れが精一杯の状況でしたから。

そこで色々とYehさんに話を聞いて、その場を離れました。   それから次に目が止まったのは

SVECと言う会社でした。  そこはLANカードのメーカーで当時10ベースが主流だったのですが

SVECではすでに100ベースを開発していて100ベースのLANカードを展示していました。

最終日にその展示カードを無理を言って買って帰りました。  発売当初の値段は1万円以上だった

と思いますが、展示品ということでとても安くして貰いました。  ドライバが展示場には無いので

後でメールで送って貰い、「やっぱり早いなぁ」と関心した思い出があります。

 

その後、日本に帰ってからメールでKAPOKのノートプックコンピュータを輸入して

KENSOというブランドで発売しました。  当初はKAPOKも日本にあまり輸出をしていなくて

結構不調がありました。  不調と言ってもハード的なものではなくソフトの不調でした。

たとえば、日本語キーボードが誤作動するとかFDDの3モードの切り替えがうまく出来ない

とかでした。  キーボードの件は、BIOSをメールで送って貰い解決しましたが、

FDD(Floppy Disk Drive)の3モードの件は中々解決しませんでした。  なんと言っても彼らは

NECのコンピュータをよく知らないので、当時のNECの1.2Mフォーマットの切り替えが

うまく出来なかったようです。  DOS-Vは1.44Mフォーマットでしたから、

2DD/2HD(1.25Mバイト)/2HD(1.44Mバイト)の三つのフォーマットを扱えるドライブを

3モードと言い、NECが主流の日本では3モードFDDでなければDOS-V機の普及は

考えられませんでした。  そこで私がインターネットで3モードのドライバを検索して見つけて

アイコンをクリックするだけでドライバの交換が出来るように加工して彼らに渡しました。

なんと彼らは、そのプログラムをノート型PCに実装して日本で売り出しました。

それが好評だったようでYehさんを始めみんな大変喜んでくれたようでした。

それで益々、Yehさんと親しくなってノート型PCも順調に輸入が出来、アフターフォロー

も充分でした。  KENSOブランドのコンピュータも田舎のショップにしては、かなりの台数を

販売しました。  日本でのKAPOK製ノートPCの売り込みには一役かったようです。

また、デスクトップ型のコンピュータにはSVECのLANカードを組込み販売していました。

 

第四部

そうこうしているうちにまたコンピューテックス台北の時期が来ました。

今度はYehさんとも親しくなっていましたので、到着と同時にフロントにメッセージがあり

「明日の夜ご飯を一緒に食べましょう」とのことでした。  今回もNuくんと一緒でしたが

彼はロータリーの用事があって台北空港に到着と同時に台中からの迎えがあり、

台中に連れて行かれました。  只々、ご無事で・・・と願っていました。

私は前回と同じく、Chaoさんに空港まで迎えに来て貰って台北に向かいました。

ホテルはYehさんが予約してくれていた、圓山大飯店(グランドホテル)という

当時台北というより台湾では最高級のホテルでした。  Yehさんの会社が契約していて

7,200円ぐらいでとても安く泊まれました。  さて翌日、私は例によってChaoさんと一緒に

コンピューテックスに行ってまたブラブラとして、SVECに行き新型のHab とか Print server

とかを見てそこでPrint server のセット方法を教えてもらって随分勉強になりました。

Chaoさんも一緒になって色々と私と一緒に勉強したようです。  後に、Chaoさんは

インターネットカフェを開いたそうです。  夕方になりChaoさんと一緒に夕食の場所に二人で

行きました。  事前にYehさんに連絡して了解を貰っていましたので。

ただ台湾の人は「友達の友達は友達だ」という観念が非常に強く直接知らなくても知った人の

友達なら喜んで受け入れるということが多いようです。

 

以前、Chaoさんの良く知っている海鮮料理の店で(この店は入口に生きたカニとか魚とか

カエルとか貝とかがありそれを選んでから店に入ります)Nuくんも一緒に行ったのですが、

店の主人が「俺の弟を呼んでもいいか?」というので「どうぞ」というと、たしか太平洋T-ZONE

(現在は旭曜T-ZONEになっているようです)のフロアー責任者だったと思いますが、

その人が仲間に入って色々話をしていると、またその人が仲間を呼んで、最後には10人ぐらいで

ワイワイとやった覚えがあります。  もちろんお金は、私が払いました。

約18,000円ぐらいだったと思います。店長が責任を感じて安くしてくれたんだと思います。 

カエルがとっても美味しかったです。  その時のエピソードを一つ。

私は英語が下手で喋ることは殆んど出来ませんが、聞くのは慣れてくると誰でもそうだと

思いますが、解らない単語は翻訳しないでそのまま頭に入って来るようになります。

それで前後関係を併せるとなんとなく解ってきます。  それで相手は英語で喋るのですが

私の返事はすべて日本語です。  彼はいちいち日本語のわかる人に翻訳をして貰って

いたのですが、とうとう、怒り出してしまいました。  「俺の英語が解るのに、なぜ日本語で

返事をするんだ」とこれはなかなか説明が出来ないので「一般の日本人の癖だ」とかいって

良く謝っておきました。

 

また話が跳んでしまいましたが、元に戻しましてYehさんとの夕食ですが、

「私の車に付いてこい」との事だったので付いて行ったところ、なんと2時間半もかけて

山の中に入っていくではないですか。  後で知ったのですが烏来という有名な温泉街を

抜けて随分山奥に入っていたようです。  もっとも霧が深くて早くは走れませんでしたが・・・。

そこは露天風呂のあるレストランでした。  レストランといっても立派なレストランではなく

大変親しみやすい大きな食堂と言った風情でした。  そこでは、山鳥、川ガニ、川エビの料理

とかが沢山出てきて私には大変美味しかったです。  そこで初めてビールのトマトジュース割を

飲みました。  大きなピッチャーと言うんでしょうか、大きな水差しにビールを2本ぐらい入れて

トマトジュースで割ります。  それを掛声をかけながら順番に回して飲むんですが、何回でも

回って来ます。  それは大変でした。  男性も女性も分け隔てなく回ってきます。

台湾の女性はお酒が大変強かったです。   この女性は、Yehさんの会社のOLで日本を担当

していたため、私とはメールのやり取りで、とても仲良くなっていました。

このとき、初めて会ったのですが初めてとは思えないほど話が弾みました。

この日は、台北に帰ったのは午前2時頃でした。  台湾の人はいつ寝るのでしょか・・・?

 

そんなこんなで今回の台湾の旅も帰国する日が近くなり、またまた光華商場へ行って

ダンボール二個にやっと入るぐらいの沢山の部品を買って日本へ帰ってきました。

この時は沖縄の那覇空港に帰ったのですが、偶然に「関税の日」にあたってしまい、

荷物が非常に多いので係官にインボイスを見せても信用してくれませんでした。

「全部開けて見せて下さい」との事なのでしぶしぶ開けかけていますと、奥のほうから

少し年配の係官が出てきて慌てて「もう良いです。通って下さい」とのことでした。

私も少々困ってどうしようかと思っていたので、安心して通過し振り返って見ると、

長い長い行列が出来ていました。  それを見て少しは気分を良くして国内に入りました。

今回は、私の観光は小人國主題樂園ぐらいでしたが台湾の名所、旧跡が25分の1に

縮小されたミニチュアの世界です。  ここも一度行ってみてもいい所だと思います。

いよいよ次回が最終章です。  思ったこと、感じたことなど色々とランダムに書いて

見たいと思っています。   お楽しみに。

その1 へ     その3 へ

ご意見、ご質問はこちらへ

(K)

旅行情報へ

暮らし生活サイトのTOPへ

Copyright(C) 2007 暮らし生活研究所 All Rights Reserved.