台湾のコンピューター産業の脅威に触れる旅 (その1)

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私が台湾で経験した彼等のバイタリティー溢れるコンピュータへの情熱、商売への情熱を

私が感じた範囲ですが書いていきたいと思います。

第一部        第二部         その2      その3

私が生まれて初めて台湾に行ったのは、香港、マカオ(当時はまだ中国に返還前でした)

の帰りに一泊で台北に寄り道した時でした。  1984年の6月でした。 台北案内

その時は、団体旅行で前日香港の有名なアバディーン水上レストランで食べた物が

合わなかったのかテンプラ油にあたったのか台湾での夕食後、高熱が出て震えていたのが

初めての台北の夜でした。

 夜の屋台めぐりも行かないで部屋で添乗員さんに薬を貰って、それを飲んで

寝てしまいました。  翌日には空港へ行き日本へ帰ってしまいました。

その時は、なにも良く解らないで過ごした台北の一日でした。

次に台北に行ったのは、この時も団体旅行で行ったのですが色々と珍しいものを見てきました。

忠烈祠國父紀念館の衛兵の交代セレモニー、これは必見です。

また、國立故宮博物院はこれも一生に一度は行って見るべきでしょう。

あまりに宝物が多すぎて、定期的に展示物を入れ替えているそうです。

すべてを一度に見ることは不可能だと言われました。  まだまだ紹介したいことは

たくさんありますが、これからの報告のなかで書いていこうと思います。

 

前段はこれぐらいにして、コンピュータとの出会いを少々。

私が31歳ぐらいの時、初めてコンピュータを会社で購入しました。 

当時はまだまだコンピユータが普及していなくてパーソナルコンピュータと言うものが

ありませんでした。

1982年の夏、会社に導入したオフィスコンピュータはUSAC(内田洋行)の

端末型のオフコンでした。

 端末型のコンピュータがまだ珍しくスタンドアロンと呼ばれる単独のコンピュータが主でした。

言語もベーシック、とかコボルとか言われていた時代です。

個人用の小型コンピュータは計算機に毛が生えたようなポケコンと呼ばれる

自分でプロク゜ラムを組み込むコンピュータが普及し始めていました。

NECのPC-8000シリーズがベストセラーになりかけたころです。

USACのコンピュータは普及型としては初期の、サーバ接続型の構成ができる

端末型のコンピュータでした。  そのコンピュータはsin、cos、tanと言うような三角関数も

出来なかった為、当時九州大学の数学教室に知った先生がいたので、電話し

ベーシックプログラムでの関数計算の記述を教えて貰い、それをオフコンに組み込んで

便利に使っていました。 そのプログラムはUSACの代理店が非常に欲しがったので

あげましたが、そんなこともあって多少プログラムに興味を持っていました。

後々、それが高じてパソコンにのめりこむようになりました。

 

私が42歳ぐらいの時1993年ごろでしょうか。NECのPC-9800シリーズが

ベストセラーになり快進撃を続けていた頃です。

IBMがDOS-V機と呼ばれるPC(パーソナルコンピュータ)を作ってマイクロソフトの

DOSを載せて発売を開始しました。特殊な日本語プログラムを組み込んだNEC DOS

と違いフォントで世界の標準を作ったマイクロソフトのOSを組み込んだIBMとの

戦争の開始でした。簡単に言うとNECのPCにはNECの日本語DOSしか入りませんでしたが

IBMのDOSV機はMSの世界中の言語のDOSが入りました。

と言うことは、標準のPC機はどこの国の誰が作ってもMSDOSを入れればコンピュータは

動かせると言う事です。

その為、漢字圏の台湾で作ったコンピュータが日本はもちろんアメリカでも、ヨーロッパでも

売れるようになった訳です。  今では世界中で台湾製が90%を超えたようです。

そこで私は、オフコンの時代は終わった。

また、NECDOSもすたれ、これからはDOS-Vの時代だと確信してパソコンを勉強しに

台湾へ行ったのでした。

 

と言っても台湾のことはあまり知りません。

そこで、以前観光旅行で行ったときに、旅行社の方にボードメーカーの専務さんを

紹介して貰っていました。  メーカー名は忘れましたが、その方を訪ねて行くと、

とっても親切に自宅まで連れて行って呉れて、BIOSの初歩から教えて貰いました。

朝の11時頃から翌日の午前2時頃まで15時間に及ぶ勉強でした。

当時のノートがありますが、全部英語で翻訳のほうに時間が掛かったように思います。

本当に親切に、丁寧に教えて貰ったことが今でも私の宝になっています。

その時の専務さんの口癖は、"may be" でした。

それからビックリしたことを一つ。  全部済んだのが夜中の2時ですからもちろん

お腹がすいてグウグウ鳴っていました。  そこで、ご飯を食べに行こうと言う事になって

「奢ってやるから行こう」と誘われ、もちろん断る理由は何も無いので連れて行って貰いました。

その時、二人で行くのかと思ったら、なんと家族全員、奥さんと小さな子供二人を

たたき起こして「さあ行こう」でした。  夜中の2時ですよ。  これには私もビックリしました。

したし、みんな起きてきて食べ放題のレストランに行き「楽しい夜食?」を食べた

充実した一日でした。  これからも紹介しますが、台湾の人はみんなでワイワイ、

ガヤガヤと騒ぎながら食べて、飲むのが大好きな人たちのようです。

 

第二部

さて、観光で何度か台湾に行きましたが、いよいよコンピュータの部品を仕入れに

台湾へ行くことになりました。  それまでに社員旅行で行った際に光華商場の事を

ガイドさんに聞いていましたので、すぐに行くことが出来ました。

 

社員旅行の際には当時のホリデーイン アジアワールドと言うホテルに泊まりました。

そのホテルはロビーが吹き抜けになっていて、シースルーのエレベーターがロビーから

見えて、とてもすばらしいホテルでした。  現在は王朝大酒店(ダイナスティホテル)と言う

名前になっているようです。  そのホテルのすぐ隣に、アジアワールドショッピングと言う

デパートがあり、そのデパートの7階か8階だったと思いますが台湾の工芸品売場があり

そこに非常に品の良いお婆さんの店員さんがいました。その人になんとなく名刺入れの

売場を聞いてみると、日本人よりも丁寧で、綺麗な標準の日本語が返ってきました。

これには、非常に驚いて少し立止まって聞いてみると、若いとき(戦争中)に

日本の偉い人のところでメイドをしていて覚えたとの事、その後段々崩れていく日本語を

聞いていないので、その当時のままの日本語で話すことが出来るのでしょうか?

非常にビックリした事を今でも忘れられません。

 

さて今回は、名前はよく覚えていませんがビジネスホテルに泊まってNaさんと二人で

台湾旅行です。  Naさんは初めての台湾旅行でしたが、成田からのチケットしか取れなくて

成田出発になってしまい少々遠回りの台湾旅行になりました。

Naさんは台湾観光を主張、私は光華商場の探検を主張し取り敢えず、

まず台中の日月潭に行くことに決まりました。

途中で民族資料館のようなところに寄って見学しましたが、興味を持ったのは

非常に不思議な外壁材でした。結局なにかわからず仕舞いでその場をあとにして一路

日月潭に向かいました。  山あいに入ったところでサトウキビを買い生まれて初めて

甘いサトウキビをかじりながらのドライブでした。   

日月潭で遊覧船にと言うより遊覧ボートに乗って湖を半周して感嘆した観光でした。

その後、台中飛行場に行って次は花蓮へ出発です。  台中空港は軍用空港も兼ねている

のか、原っぱから飛行機に乗って飛び立つような感じでした。  ちょっと汽車に乗って

と言うように日本より簡単にみんな飛行機に乗っていました。

まるで、昔に乗ったハワイの島から島へ渡る飛行機みたいでした。

あとで知りましたが、ハワイで乗った飛行機はずいぶん後になってからだと思いますが、

あの屋根が飛んでしまった飛行機と同じ飛行機のようでした。

 

花蓮では夕食に海鮮料理の店に行って美味しい新鮮な海鮮を食べてご機嫌な夜でした。

ところが、夜中にあの香港の帰りに台北に寄った夜と同じです。  夜中に急に熱が出て

トイレに駆け込んで朝まで行ったり来たりと大変でした。 

でも、フロントで貰った薬が効いたのか翌朝はおかゆを食べて少々眠いけど復活して

タロコ渓谷観光へ出発です。  もう、ここから奥は家も無い後は山を越えて台中へ

行ってしまうというところまで入っていき、インディアンの横顔に見える岩とか、

また、素晴らしい大きな滝や渓谷の絶景を楽しんで、台中空港から一路

松山機場(台北航空站)へと向かいました。  さあ、いよいよ待望の台北光華商場です。

 

朝10時の開店です。 光華商場へ一目散。 一緒に行ったNaさんはすごく大儀そうです。

見て見ぬ振りをして颯爽と光華商場へ入っていきました。  中は1階と地下があって

小さな店がひしめいていました。  その店の一軒一軒に入って念入りに見て

回っていましたが何件か寄るとすぐに昼になって、Naさんも飽きたのか

「どこか他へ行こう」と言い出してしまい仕方が無いので外に出て昼ごはんを食べて

Naさんを説得して、タクシーで國立故宮博物院へ行って貰い一件落着です。

タクシーの運転手に話をし、メモを渡してよくお願いしておきました。

その後、また今度は地下に降りて基盤類を見て回りましたが、驚いたことに

プリント基板をもちろん基盤だけを買っていく人があることでした。 

コンピュータのマザーボードの基盤なんかどうするのだろうか? 

やっぱりチップを載せてハンダで留めてコンピュータでも作るのだろうか?

今でもその事は不思議な一件でした。

それから、マザーボード(私が買うのは完成品です)、音源ボード、VGAボード、

マウス、キーボード等等を買ってご機嫌でホテルに帰りました。

Naさんはすでにホテルに帰っていて少々ふくれて待っていました。

ちょっとご機嫌とりに夜の屋台めぐりへ出かけました。

 

そんな台北旅行も帰国する日がやって来て、台北国際空港(桃園國際機場)に到着です。

そこでふと二人で考えました。  なにも成田へ帰ることはない。 

関空へ帰ろうと言うことになって日本アジア航空のカウンターに行ってチケットの変更を

言うと、チケットの発行は中華航空に委託しているとのこと。  そこで中華航空のカウンターで

関空へのチケットに交換して貰い、いざ関空へ・・・。  帰って来ました日本へ。

出発は成田でしたから初めての関空です。  右も左も解りません。  仕方が無いので皆に

付いて行き何とか日本に帰国しました。  ところが電車の駅は何処だ?

売店のおばさんに聞くと不思議そうにエスカレーターを上がって左へと親切に教えてくれました。

多分、外国人にしては日本語が上手だと思ったのでしょう。

日本の旅行者は普通、出国した空港に帰国するようですから・・・。

無事に電車に乗って、新大阪に着き一路帰宅の途に着きました。

次の台湾の旅は、コンピューテックス台北の旅です。  お楽しみに。

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