グアム・ホテルワーフ漁業施設設計の旅

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私に声が掛かったのは、今からおよそ5年前(2001年)の12月でした。

私の父の知人でUさんと言う方からのお話しでした。ある日突然見えたUさんは

「今度、グアム島で港の漁業施設を作るので一緒にグアムに来て欲しい」と

唐突に依頼がありました。

 

第一部

    

私は、突然の依頼に戸惑い、半信半疑で話を聞きました。

その話の中では、グアムのY○○コーポレーションと言う会社がアプラ湾のホテルワーフと言う

場所で、マグロの荷揚げ、冷凍、市場、税関等の施設を作る為の場所を

グァムの港湾局(http://www.portofguam.com)と賃貸契約したので施設全体の

設計と管理をして貰いたいとのことでした。

それは、私にとってあまりにも大きく途方もない話しでした。

しかし、チケットもホテルも用意するので現地を一度見て欲しいとの事でした。

そこで年が明けたら一緒に行きましょうと言う事になり、2002年の2月4日にいよいよ

出発となりました。それまでに設計用の資料を取り寄せ、基本設計だけ簡単に行い、

岡山空港へ向かいました。岡山空港でUさんと合流して飛行機に乗り込み

どきどきしながら始めてのグアムへ向かい、出発しました。

 

途中、和歌山上空を次に潮岬上空を通過し、いよいよ太平洋です。

行く手には、2月だと言うのに入道雲が湧き上がり、眼下の海は濃紺になったり、

エメラルドグリーンになったりして、単調になりがちな4時間の空の旅を楽しくしてくれました。

さて、いよいよ飛行機は高度を下げ始め、エメラルドグリーンの海にイルカが泳ぎ、

気分は最高潮に達したところで、グアム空港に到着です。

飛行機から降りると、乗った時の零下だった気温が30度以上になり真夏のグアムでした。

初めてのグアムなので空港で風景写真を撮り、迎えの車に乗ってホテルに向かいました。

現在のパシフィックベイホテルだと思いますが、多少記憶が曖昧になって来ています。

フロントには美人の日本人スタッフがいて親切にチェックインの説明をしてくれました。

その日は、Y○○のトムさんヨシさんと一緒に行ったUさんと4人でタモンをブラブラしてから

ファミリーレストランに食事に行って楽しく過ごしました。

 

ファミリーレストランでびっくりした事は、サイズの大きさです。

ステーキやその他の料理も食後のデザートも日本の3倍ぐらいはありました。

さすがに私も、一人前を一生懸命に食べてデザートは遠慮してしまいました。

翌朝は7時に起床、Uさんと前日に仕入れた牛乳と、パンで簡単な朝食を済ませ、

現地に向かって出発です。行き先は、アプラ湾のホテルワーフです。

 

ホテルワーフと言っても、ホテルがある訳では無く、正式にはH岸壁と言うそうです。

英語のABCを無線で言う時の、"A"は"αのA"と同じで"H"は"HOTELのH"との事でした。

アプラ湾はグアムの港湾局の管理下にあり細長い半島の入口には、ガードマンと思いきや

本物の港湾警察官が全車両のチェックをしていました。

 

そこでパスポートを見せて通過し、いよいよY○○コーポレーションに到着です。

そこは、本当に水のきれいな岸壁でした。幅200mほどの細長い半島の反対側は

フィリピン海の海溝が覘いていて、200mぐらいの浅いリーフのさきを不気味に見せていました。

リーフの部分は見たことも無いほどの綺麗な透明の海で、直ぐに掴めるほど近くを熱帯の魚が

泳いでいました。この部分はアメリカ海軍の管理地で周りには誰もいません。

本当に、誰も居ない静かな綺麗な普通の人は見る事の出来ない海を初めて見ました。

 

さて、話を元に戻してホテルワーフの施設としては、Y○○コーポレーションのコンテナハウス

といくつかの倉庫(これもコンテナハウス)が建っている程度でした。写真集1

岸壁には双胴船のショーボートが停泊していて、夕方のサンセットディナークルーズの出航を

静かに待っているようでした。

もう一隻は、台湾の漁船が停泊していました。

 

暫く見学していると赤い綺麗なボートが入って来ました。これはアメリカ海軍の連絡用のボートで

一般人は乗れないそうです。後にキャプテンと親しくなり乗せて貰いました。もちろん無料です。

その後、事務所に入って種々の打合せを行ったり、岸壁の測量をしたりしながら、

毎日を忙しく過ごしました。ビザなし入国なので実際の作業をすることは出来ませんが

打合せや図面の作成はすることが出来ます。

 

ある日の昼食時に今日はハーバーマスターが来るので一緒に食べましょうと言うことで、

事務所の食堂に行くと、なんとマグロの山がありました。およそ40cm×60cm程の

四角いバットと言いますかアルミの入れ物にマグロがおよそ30cmぐらいの山になって

盛られているではありませんか。ものすごい量のマグロのさしみです。

 

生まれて初めて見ました。なんとも風情の無いことか。

日本人は料理を目でも味わいますので、これは美味しいとは言いにくい盛り付けでした。

それをみんなは美味しい、美味しいと言って、パクパク食べるのですから私も最後は

負けてはならじと頑張って食べましたが、マグロの美味しさはありませんでした。

そうこうしているうちに、瞬く間に5日間の滞在が過ぎ帰国の日がやってきました。

 

今回は、グアムで海にも入らず吊りもせず観光もしないで帰国です。

こんないい所に来て何もしないで帰国なんて最悪です。この次はかならず・・・・・。

これまでの成果は測量して平面プランだけできあがり皆さんが納得して、

日本に帰ってから詳細設計を進めると言うことでひとまず切り上げました。平面プラン

日本に帰ってから猛スピードで図面を書き鳥瞰図も仕上げて再度いざグアムへ。鳥瞰図

 

次にグアムへ行ったのは、3月18日です。約1ヶ月半の間に230枚程の図面を描き

と言ってもコンピュータで描きますから結構早くできました。また、色々と手伝ってもらい

日本語の図面をすべて仕上げて、それから大変でした。全部英語に直さなきゃなりません。

およそ半分100枚程度を翻訳して、またまたUさんとグアムへ出発です。

やはり4時間の少し退屈で、眼下の海を見ながら過ごした空の旅でした。

 

第二部

いよいよ二度目のグアムです。今回は二週間の滞在予定です。

今度こそ、吊りに、観光に、泳ぎにと準備万端整えての入国です。

さて、前回と同じパシフィックベイホテルへチェックインして、相変わらずの受付嬢に

挨拶をして、今回はコーヒーを奢ってもらい (カウンターにセルフサービスのコーヒーが

置いてあります。有料です。たしか1ドル半ぐらいだったと思います) ご機嫌で部屋へ

入りました。 その日の夕食は、和洋食のバイキング形式のレストランでした。

にぎり寿司から焼肉、パスタと何でもありでとても美味しかったです。

 

翌日は、またホテルワーフへ行って実施設計の打合せをしました。

外では暑い中、起工式の準備をしていました。その時にはアメリカのグリーンカードを

持っているKさんと言う人がアメリカ本土から来ていて、図面の翻訳を手伝ってくれていました。

と言っても、建築用語が良く解らないとの事で用語辞典と首っ引きで頑張っていました。

とってもいい人で、今でもメル友です。・・・最近メールが来ないなぁ〜。

この方が、起工式の司会をして同時通訳もしていました。

日系一世の人の挨拶は、日本語が主でしたから。

 

ある日の夕食は、グアムの州知事のギテレス(GUTIERREZ)という方が選挙の資金集めの為

自宅でパーティーを開催されてそれに参加しました。

大変たくさんのグアムのご馳走が並んでいて、州知事も有権者でもない私にまで

色々とサービスをして最後には一緒に写真までとって知事も終始ご機嫌でした。写真集1

途中、知事の演説も聞きまた選挙対策本部長の演説も聞きましたが、何しろ英語ですから

私にはほとんど解らないままでした。 ただ、にこやかに拍手だけはしておきました。

 

さて、いよいよ起工式です。 私はアメリカと言うより、外国の起工式は初めてでしたので、

興味深々で大変楽しみにしていました。

まず、式の名称は"グランド ブレーキング(GROUND BREAKING)"セレモニーと言います。

「大地を壊す」壊し始めの儀ですね。 なんとアメリカ的発想か・・・・。

日本だと「地鎮祭」とも言いますから、まず大地を鎮めてから、掘り起こすと言うことですね。

 

まず、州知事のお祝いの言葉があり色々な偉い方々が祝辞を次々と述べられ、

もちろん日系一世の方以外は、すべて英語です。それを司会のKさんが同時通訳を

していました。  英語が苦手なのは、我々と施主の一家ぐらいでしたが・・・・。

そうこうして、やがてセレモニーも佳境にはいり日本で言う「鍬入れの儀」になりました。

写真集2にもありますが、まずみんな一列に並んで掛け声で一斉に砂の山を掘り起こします。

もちろん、掛け声の前に神様にお祈りをします。もちろんキリスト教です。

 

さあ「鍬入れの儀」が済むと「なおらい」です。英語でなんて言うのか忘れました。

知っている方があったら教えて下さい。 まあパーティですね。

ご馳走がたくさん並んでいて皆さんお腹一杯になるまで話して飲んで食べました。

感想は、日本とあまり変わらない起工式でした。

 

パーティはとても楽しかったです。 いろんな人がいて、私も怪しげな英語で話しに入って

グアム大学の教授と友達になり「末娘を必ずグアム大学に留学させます」と変な約束をして

あとで日本帰ってから娘と家内に怒られて、大いに反省をしたものです。

 

また、港湾警察の署長と友達になって一般の旅行者には絶対に交付しない

港湾局のIDカードを交付して貰ったりと、大変貴重な経験をしました。

IDカードを持っていると、港湾の入口の検問所はフリーパスで通過できます。

日本人では私以外は誰も持っていないと思います。 もう有効期限がきれましたが・・・。

 

第三部

私は、南洋の島でゆったりとした、少々忙しいそんな日々を過ごしていましたが、なんと

まだ島内観光も、釣りもしていないではありませんか。  そこでUさんに少々おねだりをして

島内一周ドライブに連れて行ってもらうことになりました。  南の島は珍しいものばかりです。

島内どこに行っても海がとても綺麗で、改めて感心してため息の連続です。

バナナの木がたくさんあって、これは栽培しているのか聞いてみると、家庭の庭になっていて

自生に近いそうです。  ほっておくと、どんどんなって頼めば誰にでもくれる家もあるようです。

 

最近はやりの「ノニ」も庭になっていて、あまり美味しくない(身体には良いですが)

せいかこれもくれます。  これをたくさん貰って帰って、ジュースにして飲んでいました。

また、州知事公舎には「パンの木」があって実が成っていました。

かなり大きくて大人の頭ほどもあります。 これを蒸してバターをつけて食べると

まったく食パンです。  私も食べてみましたが、驚くほど食パンにそっくりでした。

 

そのうちドライブにも疲れて「少し休もう」と言うことでドライブインに入って(ドライブイン

と言ってもガソリンスタンドとローソンが一緒になったようなところ)ジュースを買って

出たんですが、Uさん何を思ったか対向車線に一気に飛び込んで加速・・・・。

私は、これで一巻の終わりかと覚悟を決めかけた時、本来の車線にもどりました。

ここはアメリカ、車は右側通行です。対向車線の車はみんな大慌てでよけていました。

相手の車の運転手の顔がやけにリアルに見えました・・・・。

 

ほぼ一周が終わりかけてきたとき、たくさんのニワトリが道路や近くの山を走り回っているのが

目に入ってきました。  どこかでニワトリを飼っているのかと聞くと、全部野鶏だそうです。

グアムってなんていい所だろう、暖かくて服は要らない、家も要らない、食べ物は

バナナ、パンの実、野鶏、海にはでっかいウニやでっかい魚が泳いでいて、

風呂は無くても、毎日天然のシャワーがありとっても住み易そうに見えました。

ほぼ3時間ほどのドライブでしたが、グアムの良さを満喫した半日のドライブでした。

 

私はこの頃、グアムのY○○、港湾局の人などと打合せをしながら図面を描いていましたが

疲れると、誰も居ないフィリピン海側の海に入って泳いだり、港で魚を釣ったりしていました。

写真3にあるような魚が釣れて、それをすぐに刺身にしてみんなで食べたりしていました。

そのうち徐々に渡船の「パトリオット」の船長と親しくなり写真を撮って、プリントして

あげたりしてしていて度々船にコーヒーを飲みに行くようになりました。

 

船長は写真のことを大変喜んで、カリフォルニアにいる娘に送ってやるんだと言っていました。

相当嬉しかったと見えて、いつも私の顔を見るなりコーヒーを飲みに来いと誘ってくれました。

親しくなったところで、湾内一周の船の旅に連れてってもらうことになりました。

湾の中には、とてつもなく大きな工場船が浮かんでいて、その船の中ではあらゆる兵器の

整備が行われているとのことでした。  何か事が起こると、その近くの海上に停泊して

整備をするそうです。  前述のKさんが書いたレポートがありますので読んでみて下さい。

 

その船に接舷して乗員を降ろすのですが、その船たるや折りたたみ桟橋があって

乗船するには10mぐらいのタラップをのぼって乗船通路にやっとたどり着くようです。

私は米軍の機密になっているかも知れないと思い、写真は遠慮しておきました。  写真集3

その船の写真は一枚もありません。  遠景は何枚も撮りましたが、まるで島のようでした。

 

殆んど毎日打合せをして2週間の滞在中に図面を仕上げようと日々オフィスに通って

コンピュータに向かって図面を描いていましたが、ある日少々気になることがあって

日本の自宅に電話をしたところ、次男が東京の大学に決めたので、一緒にアパートを

探しに行ってくれとのことでした。  しかし、岡山発の往復キップを持っていて、

帰りは3月29日の金曜日の予約でした。  岡山へは月曜日と金曜日にしか便がなくて

以前JALに勤めていたKさんに頼んでみましたが、月曜日の便は満席で変更できない

とのことでした。  ところが火曜日の関空行きなら空いてるとのことで、即座に関空便に

変更して貰い火曜日の出発に変更しました。

 

それから、慌てて図面の最終打合せを行い、日本に帰ってから全部を仕上げて送ると

言うことで、一人で関空へ帰って来ました。 

帰ってきたはいいんですが、その年は遅い雪が降り暖かいグアムからすごい寒さの東京へ

と身体がついて行けないほどの温度差に翻弄されました。

出発したとき零下でしたが、車で空港に行ってすぐに暖かいロビーに入り飛行機に乗って

グアムでしたからまだ良かったですが、今回は新大阪から新幹線で東京、東京の街の中を

歩き回ってアパート探しでしたから、大変でした。

 

それでも、アパートを見つけて契約して、なんとか安心して帰ることが出来ました。

帰ってから、グアムの図面を仕上げていると、またまたグアムから電話で「急いでくれ

図面の提出を早くしなくてはならなくなった」とのこと。

そこで、図面を描くと言ってももう翻訳だけになっていたので、「翻訳はKさん任せて

なんとかして貰って」と言うことで、送りました。

後日、聞いた話では翻訳を済ませた図面はアメリカ海軍に提出して着工できるように

なったとの事でした。  しかしお金の調達に苦労しているとのこと、

今、どこまで出来ているのでしょうか?

ご存知の方がいたら、是非、教えて下さい。

最後にグアム英語のワンポイントアドバイス。

グアムではthank you を"タンキュー"またauthorityを"アタリティー"と発音するようです。

私は当初 "ポートアタリティー" の意味が全く解らなくて大変困った経験があります。

これも私の勉強不足のせいでしょうか? 

なんとも奇妙なグアムの旅でした。  ちなみに私の旅費は全部相手持ちでした。

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(K)

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