韓国のコンピュータ産業の脅威に触れる旅 |
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| 私が韓国で経験したコンピュータ産業の一角、また色々な商売や生活、南北関係に対する
彼等の驚くべきパワーを私が感じた範囲で書いていきます。 私が韓国に生まれて初めて行ったのは、1985年ですから韓国の朴大統領が1979年に 暗殺されて6年ごぐらいの政情がまだ不安定で夜の外出禁止令が施行されている時でした。 大阪空港から金浦空港(Gimpo International Airport)にいったのですが、着陸態勢に入ってから 非常に長い間(当時そのように感じました)茶色い田んぼだったか湿地だったかの上を飛んで やっと空港が見えてほっとしたのを覚えています。 その後、旅行社のバスに乗って ソウルの中心へ向かったのですが、当時は今のように温暖化が問題になって無くて、ソウルの 真ん中を流れている漢江が全面的に凍って、子供達がスケートをしていました。 また、ホテルのレストランに行って驚いたのは、宿泊していたソウルロッテホテルには中庭に 人工の滝があったんですが、その滝が見事に凍ってすばらしい氷の柱が出来ていました。 日本では寒いところにも住んだことがありますが、あれほど大規模な氷の柱をみたことがありません でした。 大変驚きました。 まだ12月の上旬だったと思いますから。 その当時は私が海外旅行に出かけ始めたころでもありまだまだ「どういう旅が自分流なんだろう」 考えながらバスに乗ってガイドさんの案内を珍しそうに見たり、聞いたりしているころでした。 その当時のソウルは発展途上で、郊外にアパートがたくさん建設されていました。 凄い建設ラッシュで新品の材料で外部足場を組んだ工事中の建物があちこちにあり非常に 活気にあふれた街だと感じました。 しかし、逆に非常に印象に残っているのは、戒厳令下の ソウルロッテホテルの窓から見た深夜のソウルの市街は、車も人も誰もいない恐ろしいほど静かな 大都会でした。 時々パトロールカーが軍の車か、警察の車かは分かりませんでしたが、 ゆっくりパトロールしているのが見えていました。 これが、身体の中も外も少し冷えた初めてのソウルの第一印象でした。
次に韓国へ行った時には金海(釜山)空港(Gimhae International Airport)から入国しました。 団体旅行に着いて行った訳ですが、この時には大阪空港から出発して釜山、慶州に行き ましたが、台風が台湾方面から朝鮮半島に向かって来ていたため、暫く様子をみてからの 出発になり一時間ほど遅れて出発しました。 出発の時の機内放送で「現地は天候が悪く、 天候が回復しない場合は引き返します」との案内がありました。 当時の金海(釜山)空港は 改装して間がなくまだ着陸誘導装置が稼動してなく目視で着陸する為、山には雲が厚くかかって いたので向かい風の山側からは進入できず海側からの進入になりました。 この時上空を グルグル回って着陸の順番待ちをしていました。 確か4番機で一時間ほど上空で待機して、 向こうの方に見えていた他の飛行機がいなくなり、「間もなく着陸します」との機内放送があり 着陸態勢に入りました。 この時、もう長い間上空で待機していたので大阪空港へ帰る燃料は 使いはたしていたようです。 いよいよ着陸して接地した瞬間、逆噴射をして止まろうとしたの ですが台風による追風のせいか逆に前に向かってスピードをあげているように感じました。 窓の外を見ているとターミナルビルが飛ぶように後ろへ行ってしまい、また飛び上がるのかと 思うほどのスピードのまま滑走している時前方に空港の外周フェンスが見えてきました。 隣に座っていたKさんが 「もう駄目だ!」 と衝突姿勢をとったまま 「どうなってるか」 と何度も 私に聞いてきました。 私は窓際に座っていたのでぐんぐん迫ってくるフェンスを見ながら 「もうすぐ、飛び出して衝突です」 と実況中継をしていました。 まさにその時、再度逆噴射をして 車輪のブレーキをかけて飛行機を止めようとしたのでしょう、斜めになりながら滑走路の端で 芝生の直前で停止しました。 しばらくの間、乗客は全員沈黙していましたが、そのうち誰かが 拍手をし始めると、全員が歓声を上げて拍手をしました。 感激の一瞬でした。 その後、ターミナルビルに入り迎えに来ていた旅行社の人と合流しましたが、最初のひとこと 「あなたがたの飛行機が今日の一番機です」と言われ全員が絶句しました。 「他の飛行機はどこへ?」 なんと我々が待機している間に、他の飛行機は全部引き返したそうです。 翌日の新聞を見てまたまたビックリでした。 我々の飛行機が着陸したので、次のソウルから来た 飛行機が同じく着陸を試みたそうですが、失敗して田んぼに飛び込んだそうです。 やっぱりJALは信用できると思った瞬間でした。 その後、事故処理と台風の影響で3日間 空港閉鎖になっていたそうです。 それから慶州に向かったのですが、途中でもの凄く広い 中央分離帯の無いと言うよりも可動式の中央分離帯になっている高速道路を通ったので なぜこんなに広いのかガイドさんに聞いてみると、非常時には戦闘機の滑走路に使うという 説明でした。 良く見ると吹流しがあり管制塔もあり、また格納庫のようなものも遠くに 見えていました。 後になって、ソウルでも、台湾でも見かけることになるのですが当時は、 初めてでもあり大変驚き感心しました。 代替滑走路(Highway Strip)というそうです。 そんなこんなで相変わらず珍しいものを見たり怖い思いをした韓国、釜山、慶州の旅でした。
次に韓国へ行ったのは、またまた団体旅行でソウルから済州道(済州島)でした。 写真 1 ソウルでは戦争記念館や国立民俗博物館を見学して韓国の人たちの暮らしや、不幸な歴史の 一端をを垣間見て色々な思いにとらわれました。 また、当時日本の地方では珍しかった ブックセンターに行き在庫の豊富さ、店の広さに圧倒されました。 韓国では立ち読みが普通で 立ち読みと言うより座り読みでしょうか、通路が、わりに広くなっていて、そこへ若い人、学生だと 思いますが床に座り込んで本を読みふけっていました。 私もついでに真似をして座り込んで 呼んでいたのですが、掃除のおばさんが来ても別に咎めるでもなく、少しよけているとさっさと掃除 をしてくれます。 だれに遠慮するでもなく堂々とみんな読んでいます。 日本に比べてなんと 大らかなことか。 ところで私が読んでいたのは、もちろん日本語の小説でした。 なんと日本語の西村京太郎の十津川警部シリーズの新刊が並んでいたんです。 私は、十津川警部が大好きなので買おうと思ったのですがやはり日本より少し高いので [良く分かる韓国語」の本と、「ソウルの地図(これは日本語版はありませんでしたので英語版)」を 買って店をでました。 その日の自由時間は、ブックセンターで潰れてしまいました。
翌日は、かねてから興味があった電気街(と言うよりコンピュータ街)へ旅行社の課長さんに 連れて行ってもらいました。 ガイドさんにお願いしたら良く知らないと言うことで別の人が案内して くれることになりました。 それは龍山 (Yongsun)と言うところで、3階建てのビルが道の両側に 並んでいて並ぶと言うより、もの凄く長いビルが道路の両側に建っていて、所々道路の上に 渡り廊下があり向かい側のビルに直接行ったり来たりと渡る事が出来るようになっていました。 わくわくしながら連れて行って貰ったのですが、3階建てのビル、全長が100mぐらいのビルが 4棟です。 歩くだけで随分疲れてしまい、まだまだ半分ぐらいの時、課長さんが 「少し休みませんか?」と言うことで、近くの喫茶店に入って、良く覚えていませんがなんか 珍しいカキ氷を奢って貰いました。 そこで、またまた私の悪い癖が出て朝鮮半島の南北関係を 切り出してしまいました。 以前、台湾でも大陸と台湾との話をして、4時間ぐらい熱弁を聞いた ことがありました。 やはり今回も彼らの考え方、離ればなれになった親族関係、韓国の徴兵制、 日本の軍事費等々1時間半ぐらいだったでしょうか彼の話を聞きました。 やはり我々日本人が 経験していない事を聞かされ本当に大変だなと思いました。 そこで彼らのごく普通の韓国人の 日本の自衛隊に対する誤解を一つだけですが、解いておきました。 それは日本の軍事費に 対する誤解でした。「日本は莫大な軍事費を使っているので、当然日本の自衛隊の規模は大変 大きいだろう」と言う事でした。 韓国は徴兵制なので人件費がとても安いそうです。 普通の兵隊さんで給料が日本の20分の1ぐらいだったと思います。 その計算で自衛隊の人員は 100万人以上だろうと思い込んでいたようです。 「日本は徴兵制がないので人件費はかなり 高いですよ」と言うと「どれくらいの規模か」と聞かれ「25万人ぐらいかな」と答えると 「え〜!」と人員の少なさに感心したようでした。 本当は何に感心したのかは分かりませんでした。 やはり、彼らは昔の日本軍の復活を一番心配しているようでした。 課長さんは言いませんでしたが。
その後、課長さんは用事があるので、ホテルへの帰り方を丁寧に教えてくれて、そこで別れ、 私はまた龍山 (Yongsun) をブラブラと探検しました。 そこで道路の南側のビルだったと思いますが そのビルの2階に中央の狭い階段を上がってすぐ向かい側に小さな部品屋さんを見つけました。 そこには、コンピュータ用の冷却ファン、電源ユニット、コード類、キーボード、マウス等々、 色々と見ていてワクワクするような物が沢山並べてありました。 ドキドキしながら店の中を 見ていると店主のような小父さんが寄ってきてハングルで話しかけてきました。 私はハングルは 全然解りませんので、英語で返事をすると今度は小父さんが英語を全く話せませんでした。 困っていると何処で見ていたのか近くの店の人が入ってきて通訳をしてくれました。 その人の話によると年配の人は漢字を勉強しているので漢字で書くとある程度は通じると言うこと でした。 そこで紙に漢字で書いて身振り手振りに絵を描いて何とか話をすることができました。 後々この店の小父さんに色々と無理を言ってお世話になるのですが、この時はマウスとか プリンタケーブルとかを少し買って、名刺を貰って店を出ました。 その名刺はまったく読めませんでした。 全部、ハングルで書いてありましたから。 翌日は、済州道(済州島)に飛行機で移動して済州島の一周観光です。 写真 1 済州島では天帝淵瀑布を見たり景色の非常に素晴らしい城山日出峰(ソンサンイルチュルボン) に行ったり中でもとても不思議だったのはトケビ(お化け)道路でした。 どう見ても、どこから見ても下っているのに空き缶は反対に上って行きます。空き缶が坂を 転がって上って行くのは本当に不思議な光景でした。 まさに目の錯覚のようです。 この時は非常に駆け足で簡単に島内一周をした済州島観光の旅でした。
次に韓国に行ったのもある会の親睦旅行でした。 この時は団体の人とは別に2日程早く ソウルへ行ってコンピュータ部品を見て回ってみんなと合流する予定で出発しました。 なんとその道中でとても驚いたことがありました。 私の旅はいつも驚くことが沢山あって私自身 少し期待しながらいつも出かけて行きます。 今回の驚きは行きの大韓航空の機内で起こりました。 飛行機がちょうど朝鮮半島の上空に入ってソウルまであと40分ぐらいになった時でしょうか、私は おもむろに前の座席のポケットから韓国の入国カードを取り出して、記入をはじめました。 それを隣の席のおばあさんがじっと見ているように感じていました。 入国カードを書き終って パスポートの間に挟んで上着の内ポケットに入れた時におばあさんが突然「今のは何ですか?」 と聞いてきたんです。 「入国カードでこれを提出して入国審査を受けなければ入れませんよ」と 答えたところ「そんなもの知らないと」言い出してどうしたら良いか聞かれたので「持っている書類、 旅行社に貰った書類を全部見せて下さい」と言って見せて貰ったたところ本当に入国カードが 無いじゃないですか。 おばあさんは一人旅で娘さんがソウルに居るので会いに行くところだった ようです。 旅行社もいい加減だなと思ったのは、本当なら旅行社が入国カードも書き込んで サインだけすれば良いように準備をしてくれる筈なんですけどね。 チケットは旅行社で買った ようでしたから。 ナントカツーリストも大手なのにいい加減な会社だなあと思った瞬間でした。
そこでおばあさんにすがるような目でお願いされて入国カードを書いてあげる事にしたんですが、 大問題が発生しました。 なんとおばあさんが娘さんの住所を知らないと言い出したんです。 電話番号も分からない。 「連絡方法は?」と聞くと「娘が空港に迎えに来ているから」との返事です。 さて、私も困りました。 入国カードには滞在先を書くようになっていますから。 そこで客室乗務員を呼んで聞いてみようと思って呼び出しボタンを押したところ、日本語の全く 分からない人が来てしまい、日本語の分かる人に代わってもらうよう何度もお願いしたんですが 「私が何とか対応します」との一点張りこれには仕方なく私も覚悟を決めてたどたどしい英語で 聞いてみました。 ところが彼女は「その欄は書かなくていい。白紙のままでも問題ない」との返事。 私は本当にその欄が白紙で良いのか、私の英語の翻訳と発音が間違っているのか分からなくて、 何度も何度も確認して半信半疑で取り敢えずの納得。 隣のおばあさんに「ここは書かなくても いいそうです」と言ってサインだけして貰って一件落着。 「お兄さんは凄いですね。英語が 話せるんですね」と おばあさんから感謝の言葉を頂きながら、内心は心配で心配で入国審査が 終わるまでおばあさんの後をついて行きました。 私の英語は通じていました。 本当に滞在先を 書かなくても入国できたんです。 そして娘さんと抱き合って喜ぶおばあさんの横を「へぇ〜」と 思いながらタクシー乗り場へ向かいました。 当時は大丈夫でしたが現在はどうなんでしょうね。
それから2日間、龍山の例のおじさんの店でブラブラしておじさんと筆談をしながらコーヒーを奢って 貰って過ごしました。 その頃はもうおじさんとも仲良くなって私の欲しいものは作って貰えるように なっていました。 おじさんの口癖は「ちょっと待って、30分」です。 30分待って呉れたら作って くるから、と言う意味で30分とは言っても1時間ぐらいは掛かりますが、携帯用イヤホン、IDEコード 特注の長さのプリンタコードとコード類、アクセサリー類は何でも持って来て呉れました。 自分の店に無いものは他の店から調達して本当におじさんの店に行くと何でも間に合いました。 やさしいくて大変人の良いおじさんでした。 もう長いこと会っていませんが、どなたか機会があったら 是非よろしく伝えて下さい。 翌日、みんなと合流のため金浦空港まで行こうと思ったのですが、 結構時間が掛かるのでホテルの前で待つことにしました。 ホテルの前は座るところもないので ロッテデパートの前に階段があって道路側に植込みがあったのでその縁に座って到着を待つことに しました。 暫く待っていると、まだバスが着いていないのに良く知っている人が来たんです。 暫く声を掛けないで様子を見ていると一人でロッテデパートに入って行ったんです。 慌てて 参加者名簿を見てみるとその人は名簿になかったんです。 その時には世の中狭いもんだとは 言いますが世界は狭いもんだと実感しました。 その後ロッテホテルの前でみんなと合流して その日は飲んで食べて楽しいソウルの夜でした。 さて明日はいよいよ板門店(パンムンジョム)です。
さあ、今日はいよいよ板門店です。 朝早くから目が覚めてドキドキしながら準備を整えていざ 集合場所へ、みんなまだ来ていません。 「昨夜は遅くまで飲んでいたのかなぁ」と思いながら 待つこと30分みんな集まりました。 ワイワイガヤガヤととても元気のいいおじさん達です。 ちょっと声が大きく、ガラもちょっと悪いおじさん達の集まりです。 そこで添乗員のお姉さんが 注意事項を叫んでいました。 「みなさ〜ん。パスポートは持っていますかぁ〜。パスポートが 無いと途中で降ろされますよ〜」などと言っていましたが、みんなあまり聞いていませんでした。 さて、バスに乗って点呼をしていると、一人足りません。 暫く待って、やっとバスに乗り込んで 来たので聞いてみるとパスポートを取りに部屋まで帰ってきたそうです。 へぇ〜ガイドさんの 話を聞いていたんだと、変に感心して出発でした。 漢江を右手に眺めて、ハイウェイをどんどん 北へ走って一路バスは板門店へ向かいました。 途中の景色と言えば川の土手には延々と フェンスが張り巡らされ途中に何百メートルか置きに監視所があり、だんだんと緊張が高まって 行きました。板門店の近くまで来ると、道路の真ん中にコンクリートの塊が置いてある場所や、 コンクリートか何か良く分からないもので壁を作ってありその壁を爆破すると道路が通れなく なるように垂直の壁の裏にコンクリートの塊のようなものが積んであったりで異様な光景でした。 その障害物を避けてバスは蛇行を繰り返し国連軍のキャンプへ向かって行きました。 途中ゲートのような所でバスを止められて国連軍の係官が乗り込んで来て、一人一人の パスポートをチェックして(全員パスポートの写真を開いて、顔の横に掲げて、それをチェックして 回るんです。 全員のを見るので少し時間が掛かりました)やっと通行許可が出ました。 朝出発前はあれほどにぎやかだったおじさん達は随分静かになって言われるとおりにしてました。 途中で戦車や大砲が道路の真ん中に据えてあり本当に臨戦態勢のようでした。 そうこうしている内にバスは国連軍のキャンプに到着です。 と同時に全員ブリーフィングルームに 入れられて、南北戦争の歴史、現在の様子などの説明をスライドや映画で約30〜40分ぐらい 受けて最後に凄いものにサインをさせられました。 サインをしなければこれから先は立入り禁止 と言う事なので仕方なく全員サインしました。 その内容は、これから休戦中の中立地帯に 入りますが、国連軍の係官の支持には絶対に従うこと。 次には怪我をしても、たとえ死亡しても 国連軍にその責任を問わないこと。 などなどが10箇条ぐらい書かれた誓約書でした。 要するに何があっても、突発的に撃ち合いになっても国連軍は一切責任を取りません。 国連軍としては、一切関知しませんよと言うことでした。 これには全員ますます静かになりました。 その後、再度バスに乗って出発です。 今度は、前と後ろに国連軍のジープが護衛?(と言うより 監視の方が正解かな?)について非武装地帯に入り、いよいよ板門店(パンムンジョム)です。 板門店に着くまでにビックリしたのは非武装地帯は何も無いところだと思っていたのですが、なんと 村があって一般の人が住んでいるんです。 そこは結構いい農地があって政府も移住を奨励して いるそうです。 土地代は無償で、税金も無いそうです。 今は分かりませんが当時はそのような 説明を受けました。 いくら国連軍の保護下と言ってもやっぱり命懸けでしょうから、 よくこんな所に住んでるなぁと感心しました。 板門店に到着してもの凄く緊張してバスから降りて 見学開始です。 それまでに気分は随分盛り上がっていましたから、会議室に入った時は、 全員珍しく緊張のかたまりでした。 あの騒がしいおじさん達のなんと礼儀正しいこと。 一言も 話さないで、ガイドさんの言うこと素直におとなしく聞いていました。 日ごろを知っている人は 同じ人物とは到底思わないでしょう。 それほど殺気立った緊張感が漂っていました。 板門店の会議室の中は、南と北にドアがあって南側が見学している時は全室が南側になって、 写真にあるように北側のドアの前に衛兵が立ってガードし、北側の見学の時は 逆に全室が北側になるようです。 写真2 外に出て境界線を見ると、ただ白い太い線が引いてあるだけでした。 フェンスもバリケードも 無くただ白い線のみが境界線でした。 そこで言われたことは北の兵士と目を合わせないで 下さい。 目が合うと北へ行く気があるのかと思われて、北の兵士による意思の確認が行われる と言うことでした。 「あの観光客は北へ来たがっているので、直接話がしたい。」と申し入れも あるそうです。 北側の兵士は南の観光客を眺めてブラブラしていましたが、国連軍の兵士は いつ撃たれてもいいように建物に半身を隠して片目で北側を監視していました。 手はホルスターの上に構えて、いつでも銃が抜ける姿勢で監視していました。 それを見るだけでも凄く緊張が高まりました。
板門店の見学を終えて、国連軍のキャンプまで無事に帰って来ると、さあ今度は昼食です。 国連軍の来客用レストランでバイキングのランチでした。 韓国料理から、中華料理、イタリヤ、 アメリカ、日本料理まで素晴らしいご馳走でした。 それを心行くまで堪能して、キャンプを後に しました。 もの凄い緊張でお腹が空いていたせいか、みんな沢山のお代わりをしていました。 その後、ソウルに帰ってきてその夜はみんなで焼肉を食べにいき、お昼にあれほど食べたのに またまた、遅くまでビールで乾杯しながら沢山の焼肉をほおばっていました。 なんと私も含めて みんな何処に入るんだろうと、ただただ感心していました。 翌日はみんな帰国する日でした。 私は飛行機が翌々日だったので、ロッテデパートの前で みんなを見送ってから、例の「ちょっと待って30分」のおじさんの店に行って何か珍しいものは ないかとおじさんの店で半日粘って遊んでいました。 その時向かい側の店にパソコンが 置いてあったので「ちょっと使ってもいいか」と聞くと「誰でも使っていい」との返事だったので そこへ行ってパソコンでネット検索したりで遊んでいると、ふと気がつくと私の周りに5、6人の人が 集まってなにやらガヤガヤ言ってるじゃありませんか。 なんと言っているのか聞いてみると 「この日本人ハングルが読めるぞ」と言って騒いでいたそうです。 そのうち誰かがふと気がついた みたいで、ハングルが読めなくてもアイコンと英語の注釈とでパソコンが使えることが分かって みんなで大笑いでした。 その時に感じたのは、ソウル市内にはADSLの高速回線網が整備 されていて、ダウンロードの早さにとても驚き、日本は遅れているなと言う事でした。 その当時、私はまだ56Kの電話回線でネットをしていましたから。 その後早くなってもまだ INS回線でしたから日本は相当遅れていたようです。
翌日、私も帰国する為に金浦空港(Gimpo International Airport)に行って搭乗手続きをしました。 その時に大韓航空のカウンターに行ってチェックインしたのですが、係りの人が男性でしたが 英語で機関銃のように喋ってきたのです。 何を言っているのかさっぱり分からなくてもう一度 話して貰ったのですがやっぱり分かりません。 またお願いして3度を話して貰ったのですが 相変わらず早口で説明をしています。 そのうち私もだんだん腹が立ってきて怒って、 「あなたは日本人が英語が下手だということを知らないのか?」と尋ねたところ「分かってる」と 言ったのか「知っている」と言ったかは良く覚えていませんが、なにしろ日本人は英語が苦手だと 知っているようでした。 そこで私はますます腹が立って「それなのに、何故ゆっくり話して 呉れないのか」と怒ったところ直ぐに理解したと見えて「ベリーソーリー」と返事がありました。 それから今度は非常にゆっくりと今度は馬鹿にしているのかなと言うぐらい分かり易い英語を 話してくれました。 結局荷物を預けたんですが、荷物の中に「危険物と壊れ物は無いですか」と 聞いていただけでした。 それからチケットを貰って搭乗口に向かったのですが、その受付の 係員は非常にゆっくりと丁寧に通関から搭乗口までの案内をしてくれて、迷わずに飛行機に乗って 帰ることが出来ました。 今回もいろんな事が次々と起こった私の楽しい旅でした。
今回はNaさんとの二人旅です。 まずソウルに行ってソウル観光をしてそれから飛行機で 済州道(済州島)に飛んでまた観光です。 Naさんとは台湾にも一緒に行きましたが、 コンピュータに全然興味の無い人で今回は龍山に一緒に行くのはちょっと無理かなと 思いながらの出発でした。 ここで暫くお休みさせて頂きます。 また、何時の日か開催します。
(K) |
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